なぜ今、中古のLet's noteなのか?(狐狸庵先生風)
【老いぼれの悪あがき】なぜ今、中古のLet's noteなのか?
PC歴40年のポンコツが辿り着いた「言い訳不能の執筆専用マシーン」という名の袋小路
定年を前に、なまじ半世紀近くもパソコンなぞという鉄の箱をいじくり回してきたがために、「Webライターにでもなって、一旗揚げてやろうか」などと血迷った、哀れなる同志諸君よ!
わしである。御年65歳、もはや老い先短い身でありながら、年金だけでは心もとないと見え、まだ何かを成し遂げたいという、この見苦しいまでの生存欲求に突き動かされる男、人呼んで吾輩である。
現役時代は、血税で刷られる広報誌の片隅に、誰が読むとも分からぬコラムをちまちまと書きつけつつ、自作PCの補強やら周辺デバイスのとっかえひっかえ、その散在は天文学的数字。来る日も来る日もハンダゴテを握りしめ、部屋を煙とススで満たしつつ不安定なデバイスを組み上げてはほくそ笑み、而して半年後にはメーカーから廉価で発売される憂き目に遭い、あるいは段ボールに組んだマザボと電源とFDDにとっかえひっかえ5インチFDを抜き差しして1時間かけてwindows95をセットアップして自慢するも、細君からは「またガラクタを増やして! いい加減にしてください!」と罵声を浴び続けた。独りでは抱えきれない重厚なCRTも長大な138桁のドットプリンタも、今や田舎の実家の倉庫の肥やしである。そして、そんなやくたいもない数十年に及ぶ記録をため込んだXREAのサーバも、Movable Type5だの6だのという古いCMSを放置したせいで米国の発情薬品のサイトに乗っ取られて次元消失の憂き目に遭い、いまや、古の戦友とも言うべき鉄騎の名を冠した独自ドメインだけが、栄光なき戦いの歴史を物語る、わが人生の勲章である。
そんな拙者《やつがれ》が、この人生の最後に、新たな「戦友」として白羽の矢を立てたのが、中古の『Panasonic Let's note CF-SV8』。2025年の今日このごろ、巷ではAIだのVRだのと騒いでいるというのに、なぜ今さら6年前の骨董品なのか。しかも、お値段わずか2万5千円。牛丼に換算して約50杯分。この涙ぐましい投資が、果たして吉と出るか凶と出るか。わしの老いぼれた挑戦の記録を、ここに洗いざらいぶちまけてやろうではないか。同志諸君、刮目せよ!
なぜ「CF-SV8」なのか? PC歴40年の末に悟った「逃げ場なき価値」
そもそも、わしほどのPC歴を誇る人間が、なぜ最新鋭のキラキラPCに飛びつかぬのか。諸君もそう思うであろう。何を隠そう、何を隠そう。実は過去に何度も、その甘い罠にハマっておるのだ。
最新モデルと聞けば胸をときめかせ、なけなしのボーナスをはたいては、ピカピカのPCを買い込む。しかし、である。いざ使ってみれば、目玉が飛び出そうな価格のビデオカードもそれほどの速度は出ず、たまに感動はしてもすぐに慣れてしまう。鳴り物入りで登場したZipだのMOだのといった記憶媒体も今や影も形も無い。大量に買い込んだDVD-RAMは太陽光で変質して使い物にならない。無駄に電気代を食いつぶして、わしの財布を威嚇する。結局、わが自作PCはその高性能を持て余し、最終的にはYouTubeで延々と猫の動画を眺めるだけの「究極の猫動画再生機」と化してしまうのが関の山であった。哀しいかな、これが現実である。
閑話休題《あだしごとはさておき》。
そんな失敗の山を築き上げた末、わしが悟ったのは、かの文豪ゲーテも歌った(ような気がする)「足るを知る」という境地であった。我々のような意志薄弱な人間にとって、PCに求めるべきは、ハイテクな機能ではなく、自らの怠惰を許さぬ、むしろ「不便益」とでも言うべき、本質的な価値なのである。
1. 拷問のごとき「軽さ」
重さ、わずか919グラム。この軽さが、悪魔のように囁くのだ。「さあ、立て。立て吾輩。家でゴロゴロしている暇があったら、このわしをカバンに詰め込んで、近所の喫茶店にでも行って駄文を書きなさい」と。そう、この軽さは、わしから「重いから持ち歩きたくない」という言い訳を奪い去る、恐るべき拷問器具なのである。
2. やけっぱちの「堅牢性」
かの有名な米軍調達基準MIL規格とやらに準拠しておるらしい。正直、わしには何のこっちゃ分からんが、要は「少々手荒に扱っても壊れんぞ」という、パナソニックの技術者たちの咆哮《ほうこう》が聞こえるような代物だ。これで「満員電車で圧迫されて壊れたらどうしよう」などという、か細い心配も霧散する。どこへでも連れて行け、どこででも酷使しろ、というわけだ。まったく、容赦がない。
3. 言い訳無用の「長時間バッテリー」
約13時間。もう笑うしかない。喫茶店の隅で、電源を探してキョロキョロする、あの哀れな姿を晒さずに済むのだ。バッテリーが尽きるまで、ひたすら書け。書け。書くのだ! と、無言の圧力をかけてくる。ああ、もはや逃げ場はどこにもない。
これぞわが流儀!「巨大空母」と「ポンコツ戦闘機」による二正面作戦
さて、諸君にわしの編み出した、この涙ぐましい執筆戦略を披露しよう。名付けて「空母・戦闘機分離作戦」である。
- 自宅の自作PC =「巨大空母(情報という名の魔界)」
わが書斎に鎮座ましますは、メモリ64GB、43インチと24インチのFHDモニターをボコッと2枚も並べた、まさに「巨大空母」。ここではブラウザのタブを阿修羅のごとく開き、ネットの海から情報をかき集める。AIに動画を要約させ、己の過去の駄文を読み込ませては悦に入る。しかし、この巨大要塞こそが曲者なのだ。あまりの快適さに、気づけばアマゾンの奥地で怪しいサプリメントのレビューを読みふけり、半日を無駄にするなど日常茶飯事。まさに、生産性を蝕む「デジタル魔窟」なのである。 - CF-SV8 =「ポンコツ戦闘機(デジタル座敷牢)」
一方、この中古Let's noteは、出撃専用の「戦闘機」よ。メモリは8GBポッキリ。増設? そんな贅沢、このどケチな吾輩が許すはずもなかろう。この絶望的な低スペックのおかげで、動画サイトを開こうものならファンが悲鳴を上げ、多くのアプリを立ち上げれば即座にフリーズする。この「できない」ことこそが、気を散らす悪魔の囁きを物理的に断ち切り、わしを「書く」という一点に強制的に集中させる「デジタル座敷牢」となるのだ。パナソニックよ、感謝せい。このわしは、己を律するために、わざわざ金を出して不自由を買っておるのだぞ。
結び:同志諸君よ、我らが戦場はここにある
この2万5千円の愛すべきポンコツ戦闘機と、情報収集という名の航海でしばしば遭難する巨大空母。この二つを使い分けるという、一見すると面倒極まりないスタイルこそ、半世紀もの間、鉄の箱と格闘し、駄文を書き散らかしてきた、この老いぼれの出した「最適解」なのである。
結局のところ、このオンボロ戦闘機で稼げるのは、せいぜい己のコーヒー代と、この機械を動かすための電気代くらいのものかもしれん。しかし、それでいいのだ。
どうだ、同志諸君。わしのこの涙ぐましい悪あがきを、笑ってくれたかね? もし、諸君がこれを読んで少しでもクスリと笑い、「うちの親父も似たようなことを言っておるわ」と呆れ、そして自らのコンプレックスや不器用さを、ほんの少しだけ愛おしく思ってくれたなら、わしのこの2万5千円の投資も、あながち無駄ではなかったというものだ。
さあ、我々も老骨に鞭打ち、けなげに駄文を書き連ねていこうではないか。どうせ誰も、いや、世界のどこかにいる奇特な誰かが、読んでくれるかもしれんからな!

