神棚の処分方法を検索してみた その3
神棚と雲
さて、神棚シリーズ最終回である。
実は、「神棚の処分」という検索ワードには、「雲」と言うキーワードも頻出していた。
雲ってなんだ?御神酒や榊、しめ縄のような神具なのか?
いや、恥ずかしながら、不勉強で知らなかった。
この「雲」とは、日本人と神様の間の、「あうんの呼吸」とも「不即不離」とも言うべき、象徴的な存在だったのである。
「雲」の正体と、神様を見下ろせない心
神様の頭の上を人が歩く。なんだかバチが当たりそうな気がしないだろうか。
この「目上の存在の頭上をまたぐのは恐れ多い」という感覚、実は日本人の心に深く、そして結構ヤバいレベルで刻み込まれている。なんといっても、かつてこの問題で命を落とした男がいたのだから。
その男の名は、千利休。茶の湯を極めた偉大な茶人だ。
彼が寄進した京都・大徳寺の山門には、なんと自身の木像が二階部分に設置されていた。当然、門をくぐる者は天下人・豊臣秀吉でさえ、利休の像(の足)の下を通ることになる。これを知った秀吉は激怒。「このワシに、利休の股をくぐれと申すか!」と。これが一因となり、利休は切腹を命じられたと言われている。たかが木像、されど木像。人の上をまたぐというのは、それほどの大事だったのである。
さて、時代は下って現代。都会で平屋はとっても贅沢で、庶民にはそうそう手が出ない。
畢竟、我々はマンションや二階建ての家に住む。神棚の上にも、普通に生活空間がある。さあ、どうするか。
ここで登場するのが「雲」である。これは、神様と我々の間で交わされる、実にスマートな「紳士協定」なのだ。
神棚の真上の天井に「雲」と書いた紙や木彫りを貼る。これは高らかな宣言だ。「上の階の方々、ご注目!これより下は天界です!この上には空しかございません!」と。物理的には天井だが、これ一枚でそこは聖なる天空と化す。なんと都合の良い、いや、なんと奥ゆかしい知恵だろうか。
つまり「雲」は、お供え物である神具とは一線を画す。神様がいらっしゃる空間そのものを聖別するための、精神的な建築部材とでも言うべきものだったのだ。
もちろん、神様から「雲を貼れば許す」とお墨付きをもらったわけではない。だが、こちらが最大限の敬意と工夫を凝らせば、きっと神様も「まあ、よかろう」と大目に見てくださるはずだ。そう信じ込んでいる節がある。この一方的でありながらも、どこか馴れ馴れしく、信頼に満ちた関係性こそが、神様と日本人の面白いところかもしれない。
ついでに拝見、神具オールスターズの意味
ならば、日々お供えする神具にはどんな意味があるのか。こちらも改めて見てみよう。
- 榊(さかき): 「栄える木」が語源とも。常に青々とした葉は、神様にとってのVIPシート。生命力あふれる依り代(よりしろ)である。
- 御神酒(おみき): 神様へのウェルカムドリンク。米の収穫への感謝と、「まあ一杯どうぞ」というおもてなしの心を伝える捧げ物だ。
- しめ縄(しめなわ): 聖域の「関係者以外立入禁止」を示す結界。稲わらを編んだこのロープ一本で、俗世と神域をきっちり分ける。
- 米・塩・水: 生命維持の三種の神器。これらを捧げるのは、「今日も命の基本セットをありがとうございます!」という、日々の感謝に他ならない。
お役御免、その後の作法
さて、本題の処分方法だ。古くなったお札やしめ縄、そして神棚そのもの。これらはどう始末をつけるべきか。昨日の生ゴミと一緒、というわけにはいかない。
結論はやはり、「神社にお返しする」に尽きる。
多くの神社には「古札納所(こさつおさめしょ)」が設けられている。ゴミとして処理するのではなく、これまで見守っていただいた感謝を込めて、神様のもとへお返しするのだ。いわば、神聖なアイテムたちの名誉ある「退役式」である。神社はその後、「お焚き上げ」という神事をもって、天へ還してくださる。
役目を終えたものに、最後まで敬意を払う。この一連の作法こそが、神棚との付き合い方なのだろう。
おことわり
この記事は、インターネット上の情報を収集しまとめたものです。神棚の扱いは、地域や神社によって様々な考え方があるようですので、あくまで参考の一つとしてお読みいただけますと幸いです。

